iPodに課金する文化庁の倒錯した論理
補償金は機材や媒体から一定率で徴収され、録音についてはJASRAC、実演家団体協議会、レコード協会にほぼ3分の1ずつ分配されるが、その使途の詳細は不明だ。
どんな曲がコピーされたかに関係なく、一括して「どんぶり勘定」で取る補償金は権利者に正確に分配できないので、大部分はこうした団体の運営費に使われている。
つまり補償金は創作のインセンティブを高める役には立たないのである。
そもそも著作権法は、著作者のためにあるのではない。
その第1条に書かれているとおり、それは「文化の発展に寄与することを目的とする」法律であり、「著作者等の権利の保護」はその手段の一つにすぎない。
ところが文化庁の官僚の脳内では、この目的と手段が倒錯し、著作者の権利(あるいはJASRACなどに天下る彼らの既得権)を守るために、文化の発展を妨害する法律を作ってきた。
補償金制度拡大案への多くの疑問
私的録音補償金制度の根拠をたどれば、それはCD売り上げ減少の原因がCD-RやMDへのコピーだったから、
という論旨なのだから、新たに税金のようにユーザーからお金を取るのであれば、iPodによってCD売り上げが減る社会的なメカニズムを説明する必要があろう。
北米に比べ、2倍ものCD単価を付けて、なお利益が出せないという構造的な問題について自問すべきだ。
すでに私的録画補償金をメディアから徴収しておきながら、さらに機器からも取ることが正しいとする意見は、まったく理解不能だ。
レコーダのHDDは、時間をズラして視聴するタイムシフトのための一時記憶でしかない。
時間をズラしてでも、時間を割いて番組を見ようという視聴者に対して、時間をズラすならば補償金を支払えということなのだろうか?
それとも、ハードディスクに蓄積したまま長期保存でコレクションする人が“多数派”だと言うのだろうか?