「ダビング10」騒動で、日本のコンテンツ市場を憂う
利用者を軽視したガチガチの著作権保護がコンテンツ産業を衰退させる
私的な複製がデジタル化したからといって、「権利者が得ていた利益が得られなくなった」という主張には首をかしげざるをえない。
私的な複製に消費者が求めるものは、デジタルだろうがアナログだろうが変わらないからだ。
このように、私的録音・録画補償金制度には矛盾が多い。
さらに言えば、同制度が私的録音や録画で侵害された著作権を補償しているのかどうかも怪しいのである。
米国を引き合いに出すのであれば、日本と米国との間にCDの価格差があるのもおかしいのではないか。
まず日本のCDを再販売価格維持制度(※6)の対象から外し、価格を米国と同等にすることのほうが先決だ。
大事なコンテンツなら、無料放送で提供すべきではない。
もし提供するのであれば、無料放送によるパッケージの売上げ減少を計算したうえで、コンテンツの著作権者と放送局との間で放送権料を設定すべきではないだろうか。
本来、放送枠を買い取って放送したり、放送をパッケージ販売のための宣伝として利用したりということは、コンテンツを販売する側のビジネス・モデルの問題であり、コンテンツ保護の問題ではない。
ダビング10の開始にあたり、一部の著作権団体は「コピー・ワンスではなくダビング10を許可したのは、著作権団体側が消費者の利益を優先させたあかしだ」と喧伝している(ように見える)。
しかし、これはお門違いだろう。
私的複製は著作権法で認められた行為であり、これを手柄のように主張されても困る。
しかし、この考えはほんとうなのだろうか。
映像や音楽のコンテンツを買う人の多くは、何らかの理由でそのコンテンツ(あるいはそのコンテンツにかかわった人物)が好きな人である。
事前情報がまったくない映画や、一度も聞いたことのない音楽を購入する人は少ない。
音楽が売れなくなったもう1つの、そしておそらく最大の理由は、ユーザーが音楽に触れる機会が減っていることだ。
インターネットの影響もあり、テレビの視聴率は以前と比較すると低下している。
視聴率が下がればタイアップ効果も低下する。タイアップ曲が売れなくなっても不思議ではない。
歌手のオフィシャル・サイトでさえ、音楽(その歌手の曲)を公開していない。
CD販売サイト最大手のAmazon.co.jpで試聴できる国内制作CDは、一体何枚あるだろう(画面1)。
聞こえてこない音楽を買う人は少ない。
日本の音楽業界は、インターネットというチャンスをみすみす逃しているのだ。